【あの名物社長に聞く】大阪で“超実力派”と知られる自動車整備工場を訪問!…クルマを愛する代表が語る、業界のあるべき姿とは? | CAR CARE PLUS

【あの名物社長に聞く】大阪で“超実力派”と知られる自動車整備工場を訪問!…クルマを愛する代表が語る、業界のあるべき姿とは?

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大阪府箕面市にある自動車整備工場「ビーライト」
大阪府箕面市にある自動車整備工場「ビーライト」 全 17 枚 拡大写真
大阪府箕面市にある自動車整備工場「ビーライト」(坊島5丁目4-26・小野隆二代表)は、充実した設備を誇り、テスラやジャガー、アストン・マーティンなど数々の海外メーカーからも認定工場に指定される超実力派のプロショップだ。そんな“凄腕工場”のウワサを聞きつけたカーケアプラス編集部は、大阪へ飛び工場を訪問した。

今も「進化し続けている」という小野代表の整備に対する情熱の根底には、日本の鈑金・塗装業界の底上げという強い願いがある。近隣のディテイリングショップとも手を取り合い、業界を変えるために尽力する小野代表の話をたっぷりと聞いてきた。

◆「アストン・マーティン」「ジャガー」のロゴが目印

新大阪駅からクルマで国道479号線を箕面市方面へ走ること約30分。箕面有料道路入り口付近にある自動車整備工場が今回の目的地だ。店舗の壁には「B-RIGHT(ビーライト)」と書かれた看板。その下には「アストン・マーティン」と「ジャガー」のロゴが誇らしげに掲げられる。

大阪府箕面市にある自動車整備工場「ビーライト」

「あのロゴが無いと整備工場だと思わない人が多い」と小野代表が言うように、確かにパッと見ただけではこの建物が自動車整備工場とは思えない。しかし、この中には多くの業界関係者がベンチマークする設備が詰まっている。

◆国家資格が必須の業種を目指して

取材のなかで小野代表が強く訴えたもの、それは日本の整備・鈑金業界のあるべき姿についてだ。その静かな口調のなかには、溢れんばかりの熱い思いが見え隠れする。

「色々な機関に働きかけて、この業種を国家資格が必須のものにしたい。それでないと最終的に本物にはならない」

欧州など諸外国に比べ、日本の整備・鈑金業は基準が甘く、立ち遅れていると小野代表は指摘する。

日本には車体整備士などの資格はあるものの「取っても取らなくても同じ。何のおとがめもない」のが現状だという。「3年坊主でも独立して倉庫を借りて看板掛けたら、もう鈑金・塗装屋。それでお客さんの命を守るクルマの安心、安全を守れるのか」と現状に疑問を投げかける。そんな状況を変えるため、業界全体が世界基準になることを目指す取り組みに励んでいる。

壁には所狭しと海外メーカーの認定書が並ぶ

◆“13歳”で自動車整備の道へ

もともと熱狂的なクルマ好きの小野代表。自らを「病気」と称するほど、幼少時からクルマの魅力に取り憑かれてきた。

自動車整備を始めたのは「13歳」。近所の整備工場に入り浸り、そのころから技術の習得に腐心してきた。「高校、大学に行って、いいところに就職するという考えは全く無かった。もう自分の生きる道はこれ(自動車整備)しかないと思っていた」と、周りの大人達の作業を見ては技を盗み、それを自らの技術にしていった。

中学校を卒業後、通っていた整備工場で働き始めたのは自然の流れだった。そして、すでに15歳の時には“部下”を持ち指導もしていたそうだ。

ただ、人に教えていた記憶はあるが、小野社長自身はあまり教わるという経験は無かったという。「先輩がこういうやり方でやるって言われても『どうして?』って逆らってしまう。みんな『そう教わったからって』というだけで理論がないんです」。中学卒業時には自分のなかで、確かな理論が打ち立てられていた。

1981年に23歳で独立を果たした小野代表。その頃にはすでに10年のキャリアを積んでいたことになる。若いながら確かな腕を持つ小野代表には、よくこんな質問が集まったそうだ。「修行はどこで積んだのですか?」。そんな時は必ず「インドの山奥で10年滝に打たれていた」と煙にまいてきた。“職人気質”の裏にあるこういう“茶目っ気”が小野代表の魅力をさらに引き立てる要因の一つかもしれない。

◆「先進国ぶっている」日本の現状

そんな小野代表は、日本の現状を「先進国ぶっているだけ」と表現する。それは、海外の視察をするようになり痛感した率直な気持ちだ。

「例えば塗料でいうと、大気に放出してはいけないという法律があるにも関わらず、塗装ブースがない工場も当たり前のようにある」

欧州で自動車整備工場を営業する時は、国の定めている必須の設備を全て整え、厳しい基準にともなった環境を作る必要がある。作業者は全て資格者を揃え、それでようやく営業許可がでる。

ビーライトは積極的に設備投資を行い、高水準の設備が工場内に溢れるが、これを「最低限の設備」と言い切る。工場のあるべき姿として見本にして欲しいという思いが、その言葉の裏にはある。

広々とした作業スペースには整備を待つクルマが並ぶ

塗装ブース内部の様子


◆“変態グループ”とともに業界を変える

現在、同じ大阪府の堺市にあるディテイリングショップのカーメイクアートプロ(丸山悦顕代表)などと手を組み、塗装ブースの販売に向けまい進する小野代表。「導入したいけどお金がない。そういう所に普及させるため、価格を破壊(安く)しようと思っている」とその構想を語った。これももちろん業界の底上げに根ざした思いからだ。

「仕事仲間であり、よき親友」というカーメイクアートプロの丸山代表との関係は深い。同業他種と手を組むことも「クルマに関することなので同じこと」と、枠組みを飛び越えることに何のためらいもない。カーメイクアートプロが日本総代理店を務めるコーティング剤「セラミックプロ」の施工店にも名を連ね、「待ちの商売になってしまう鈑金工場が(セラミックプロを)導入することで、自分から攻撃できる商品が持てる」と積極的に展開する。

この他にも、ビーライトから数百メートルの位置に店舗を構える洗車ソムリエの尾島康弘社長(ワールドスタイル)とも「考え方が似ている。だからすごく気が合う」と親交が深い。小野代表は自身と付き合いの深い人々の集まりを “変態グループ”と呼ぶ。同じベクトルで業界のことを考え、そして技術に執着する人々に最大の敬意を込めて、そう呼ぶのだ。

◆“エンジニア”ではなく“チェンジニア”が育つ現状について

また設備のほかにも、現在の効率性を強く求める業界の姿勢にも疑問を感じていると口にした。

「今は効率・利益ばかりを追求して、何でもかんでも交換するだけで直す技術を教えない。確かにスピードも早いし、仕上がりも統一できるが、当然技術はドンドン低下していく」

部品をめったに交換せず、修理するという時代を生きてきた小野代表は「僕らは技術料で飯を食ってるんですよ」と強い自負を語る。交換することにより、部品のコストがかかり、技術料が残らない。これが自動車整備工場の利益が低下する原因の一つだと訴え、技術力を身につけるススメを口にする。

「今の技術者は交換ばかり。“エンジニア”ではなく“チェンジニア”なんです。部品を分解して修理するということをしないと、それは技術者とは呼べない」

この現状を揶揄した言葉を、簡単に否定することはできないだろう。愚直なまでに技術を追い求めてきた小野代表が口にすると、より一層痛切に聞こえる。

◆日本のイーロン・マスク

これら小野代表の取り組みには、米国の電気自動車メーカー「テスラ」のイーロン・マスクCEOの考えが大きく影響しているのだという。自社の売り上げではなく、あくまでも環境保護の観点などから電気自動車の普及を目指しているテスラは、普及のために自社が持つ特許を無償開放し、その技術を惜しげもなく公開している。

小野代表も「みなさんは鈑金塗装の作業を見せたくないと言うけど、うちは見せたくて仕方ないんです。だから見せられる環境を作った」と、依頼があれば工場内部や技術を余すところなく公開している。自社の質が上がれば、それを見たほかの人のモチベーションが高まるかもしれない。この行動には、そんな思いが込められている。

代車としてテスラ車も使用される

◆人生の選択では「あえて厳しい道を選ぶ」

取材当日、たまたま国際的第三者認定機関の「テュフ・ラインランド・ジャパン」が、ビーライトの工場視察を行う日と重なっていた。「テュフは、ものすごく厳しいですよ。いっぱい引っかかると思う。でもそれをどんどん変えていければ、またレベルの高いところに行ける」と思いを語った。

現状にあぐらをかく気は一切ない。そして厳しい道を選び続けるというのも、イーロン・マスク氏の教えだという。

「常に選択を求められる人生で、彼(イーロン・マスク氏)は一番リスクが高い道を選ぶという考え方なんです。誰も通ったことのない道は、カベも高いし、無理難題もたくさんある。でも、それを一つひとつ克服していって、その結果もし通ることができればオンリーワン、ナンバーワンになることができる」

この思いから、あえて厳しい道を選ぶ小野社長。その結果「厳しい認定基準、認定資格フェチ」になったそうだ。あらゆる人に通ずるこの金言を聞いて心震えるのは、決して著者だけではないだろう。

この日はテュフ・ラインランド・ジャパンの工場視察が行われた

◆「あと2年で引退」その真意とは?

今後の話を聞くと、鈑金塗装業のアカデミーを立ち上げる構想があることを教えてくれた。その他にも「あと2年で引退する」という未来図も語った小野代表。しかしすぐに「でも現場はやめない。引退したらもっと好き勝手できるでしょ」とその真意を説明してくれた。

「この仕事が楽しくて仕方ないという気持ちは今も変わらない。病気ですから。絶えず何か新しいものを求め、探し、研究する。むしろ気持ちは進化している」

少年時代からクルマを追いかけ続けた小野代表の情熱が尽きることはない。「一番やりたくない仕事」だという経営者の立場から退き、現場で好きなだけクルマをいじる姿こそが、自らが描き続けた本来の姿だ。そして何よりも、業界が“本物”になる日が来るまで、歩みを止めるつもりはない。

《カーケアプラス編集部》

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