【カーオーディオ・マニア】名インストーラーに訊く。DIATONEスピーカーの魅力とは? <前編>
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同コラムは先にめでたく連載100回を突破した。今回はそれを記念して、松居氏へのインタビューを実行した。テーマは、DIATONEスピーカーについて。松居氏はコラム内でシリーズ展開したデモカー製作記にも書いていたとおり、DIATONEスピーカーの愛用者である。現在は、DIATONEの新フラッグシップスピーカー『DS-SA1000』を搭載するニューデモカーの製作リポートを執筆中だ。
松居氏にとって、DIATONEとはどのようなブランドなのか、そしてDIATONEスピーカーの使い心地はどうなのか…。改めてじっくりとお訊きしてきた。
なお、新作デモカーはすでに完成し、7月22日、23日に静岡県で開催された『第3回ハイエンドカーオーディオコンテスト』でデビュー。「ディーラーカー部門・ディーラーデモカークラス」で、堂々の4位入賞を果たしている。今回は惜しくも表彰台こそ逃したが、コンスタントに好成績を収めるあたりは、さすがだ。
さて。当インタビュー記事は、前編・後編からなる2部構成でお贈りする。まず今回は、DIATONEというブランドに対する印象と、フラッグシップスピーカー『DS-SA1000』の前型機である『DS-SA1』についての松居氏の評価をご紹介していく。
■高校生の頃にたまたま訪れたNHKのスタジオに、DIATONEが置いてあった…。
まずは、DIATONEとの出会いについてお訊きした。
松居「DIATONEのことを初めて知ったのは、高校生のときです。当時僕は吹奏楽部でトランペットを吹いていて、3年生の頃には指揮者もやっていたのですが、確かコンクールでいいところに行ったか何かで、地元のNHKに取り上げてもらえたことがあるんです。5分とか10分とかの短い時間でしたが、定期演奏会か何かのPRをさせていただくことができ、放送局のスタジオ内に入ることができたんです。
そこにDIATONEの大きなスピーカーが置いてありました。街の電気屋さんにあるようなスピーカーとは完全に異なった、すっごく大きなスピーカーでした。
その頃はまだ、オーディオには特に関心を持っていなかったのですが、プレイバックの音を聴いて驚きましたね。なんて良い音なんだろうと。スピーカーって生演奏を再現できるんだなと。そしてもっとも驚いたのは、人間の声のリアルさでした。その人らしく聴こえてきたんです。
そしてよくよく見るとそこに、“DIATONE”と書いてあった。
その後、大人になってからオーディオに興味を持つようになり、社会人になった数年後にはオーディオ屋に勤め始め、以後はDIATONEのことを良く知るようになります。そうなった後にいろいろなところでDIATONEについてのテキストを目にし、放送局用のスピーカーのすごさや技術について読むわけですが、その度にその内容をリアルに感じ取れました。高校生の頃の実体験がありましたから。確かにあのスピーカーは違っていたな、と」
■80年代の前半に、突如としてHi-Fiカーオーディオが広まり始めて…。
ところで松居氏のカーオーディオ・インストーラーとしてのルーツは何だったのだろか。この機会に教えていただいた。
松居「社会人になって最初の数年は、製造業で技術者として働いたのですが、その後いろいろあって、オーディオ屋に勤めることになりました。
オーディオが今よりもっと元気があった時代です。男の子がオーディオを買うことは今よりも当たり前のことだったし、秋葉原(東京)も日本橋(大阪)もオーディオの街だった。
当時はオーディオ製品の販売に加えて、音響の仕事もしていましたね。学校行事や街のお祭りなどにPAシステムを持ち込んでオペレートするんです。ホールで行われるコンサートの仕事もやりました。
そうこうしていると、ナカミチが高級カーオーディオ製品の販売を始めました。80年代の前半くらい。ナカミチは当初、製品をオーディオ販売店経由で広め始めます。そしてオーディオ販売店は取り付けを、クルマ専門の電装屋さんに依頼していました。しかし僕のところは、取り付けも自分たちで行ったんです。内装のバラし方をクルマ屋さんに習いに行って。
その後ナカミチは問屋さんを経由していわゆるカーショップに販路を拡大し、Hi-Fiカーオーディオは広く普及していくのですが、僕らはそのままメーカーと直でやり取りを続け、そして取り付けも自分たちで行い続けました。レアなケースでしたよね。
その流れで現在に至っているんです。独立してからも業務内容は基本的には以前どおりですし。今でもホームオーディオの仕事のほうが比率は大きいんですよ。時代の流れで、PAの仕事はほぼなくなりましたが。
クルマはもともと好きでした。ですので、カーオーディオの仕事にも、愛着を持って取り組めていますね」
■音に対してストイック。日本人が作る製品らしい、細やかな表現力に特長が。
プロになった以降は、DIATONEについてどのようなイメージを持っていたのだろうか。
松居「好きなブランドの1つでした。特にスピーカーにおいて、こだわりの強いブランドというイメージを持ち続けていましたね。誇り高いメーカーで、ライバルメーカーが598(ゴッキュッパ=5万9800円)のスピーカーを主力としてラインナップして、その上に798(ナナキュッパ=7万9800円)、11万9800円とラインナップしたとすると、DIATONEはそれぞれに対して1万円高い値付けをしてくる。そんな印象がありました。
とはいえ、リーズナブルな製品よりも、高級スピーカーでこそ特長を発揮していましたよね。
とにかくモノが良かった。振動板はどこよりも緻密な振動ができる。60万円とか70万円というスピーカーも出していて、そういう製品も何台か売りましたが、音に対してストイックなブランドだと感じていました。その部分は今も一貫していますよね。
生の演奏を聴くことが好きな方には特に、たまらないブランドだったと思います。海外製のスピーカーにはない緻密さがあった。日本人だけが持つ細やかさみたいな表現力が、DIATONEのスピーカーにはありました。
モノが良いからこそ、オーディオ誌等のメディアもすごく応援していましたよね。しかし、いつの頃からか姿が消える。時代が変わってしまったんでしょうね」
■良さをそのまま引き継ぎ、ある部分は進化もさせて、DIATONEは復活する。
しかしDIATONEは、2005年に復活する。まずはフロア型の高級スピーカー『DS-MA1』の受注生産を開始し、その翌年には車載用スピーカー『DS-SA3』を発売して、カーオーディオの分野でも華やかに再登場を果たした。
松居「そして2007年に『DS-SA1』が発売されるのですが、このスピーカーの音を聴いて、素直にいいな、と思いました。以前に感じていたとおりの緻密な音がしていました。往年のDIATONEがそのまま復活した、という印象でしたね。
トゥイーターの振動板には“B4Cピュアボロン”が使われていましたが、これはDIATONE独自のものでしたし、ミッドウーファーの“アラミッドスキン・カーブドハニカムコーン”も、以前どおりのものでした。
ただし、“B4Cピュアボロン”は進化していた。眠っていたと思っていた間に、成長していたんです。
かくして僕は、これをデモカーで使おうと決めました。もっとも惹かれた部分は、DIATONEの伝統かな。日本でもっとも古いスピーカーブランドの1つですからね。
さらに言えばその時点で、『DS-SA1』以上のスペックを持つカーオーディオ用のスピーカーが、僕には見当たらなかった。もっとも可能性のある車載用のスピーカーだと、僕には思えたんですよ」
こうして松居氏は当時のデモカー・Audiにこれを搭載し、サウンドコンテストに持ち込んでは好成績も収めていく…。
今回は、ここまでとさせていただく。次回は松居氏による『DS-SA1』のさらなる分析と、2016年にいよいよ登場した新フラッグシップスピーカー『DS-SA1000』についての評価、思い入れを、じっくりとお伝えしていく予定だ。お楽しみに。
名インストーラーに訊く。DIATONEスピーカーの魅力とは… <前編>
《太田祥三》
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