【岩貞るみこの人道車医】本当に横断できる?クルマは意外と「速」くて、人は「遅」い
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それにしても、どういう状況で事故は起きたのか。一部報道では、被害者は追い越し車線上に止めた事故車両から降り、路肩に向かっていたとある。これを聞いて私は、1987年、日本で10年ぶりに開催されたF1日本グランプリを思い出した。
◆ホームストレートにF1マシンが現れたら、渡らない
10年ぶりのF1開催。F1マシンは、鈴鹿サーキットでレースが開催されているほかのフォーミュラマシンなどとはくらべものにならないくらい速い。すると、ホームストレート(一番メインの直線)の先にある1コーナーを担当するコースマーシャル(コースサイドで事故の対応にあたったりする人たち。レース中はコース上の各所に設けられたポストと呼ばれる場所にいる)から、ひとつの質問が投げかけられた。
「コース上に落下物をとりにいったら、F1にはねられるのではないか?」
1コーナーは、スタート直後はもちろん、マシン同士の接触が多いポイントである。その場所を担当するコースマーシャルは、事故車両を撤去したりコース上に落ちたパーツをとりのぞくなど、コース上で作業することが多いのだ。でも、レースが続行されていれば、一周まわったマシンがふたたび1コーナーめがけて走ってくる。
そこで気になるのが、「最終コーナーをまわってホームストレートに姿を見せたマシンが、1コーナーに到達する時間」と「コースマーシャルがコースを横断する時間」、どちらが短いのかということである。F1のほうが短かければ、当然、コースマーシャルははねられる。それまではマシンが見えてから横断を始めても十分にわたりきれた。マシンがそれなりに遅いからだ。でも、F1は速い。最終コーナーを立ち上がってホームストレートに現れたら、あっという間に1コーナーまで到達してしまう。
「大丈夫じゃないの?」
「いや、やばいでしょ」
フリー走行前夜、憶測で意見が交わされる。コースマーシャルがはねられたら、「なにやってんだよ、日本人!」と、生中継された先の世界中のF1ファンになにをいわれるかわからない。いや、それよりも命に関わる話だ。かくして、翌日のフリー走行で検証することになった。
早朝のフリー走行前に、1コーナーを担当するコースマーシャルが、よーいどんで横断してみる。かかった時間が、X秒(もう覚えていないので、これで勘弁してください)。これに対し、フリー走行で走ってくるプロスト、マンセル、ピケ、ベルガー、そして、セナのマシンを測ってみると、どれもX秒より短い。やはり、はねられる…。
「ホームストレートにF1マシンが現れたら、絶対に渡りはじめるな!」
1コーナーはもちろん、バックストレートをふくめた各ポストでは、F1の速さを甘く見るなと厳しい注意事項が付け加えられたのである。
◆人間の体力は落ちる
話は最初にもどって、冒頭の事故が、もしも(あくまでも推測です)被害者が、事故車両が止まっている中央車線は危険なので、より安全な路肩に行こうとしていたとしたら。そして、もしも(重ねていうけれど、推測です)被害者が、向かってくるトラックの速度をみて、横断できると感じて渡りはじめてしまったとしたら。
こうしたパターンの事故はとても多い。特に高齢者は、自分の横断速度を過信する傾向にある。30年近く前に、国際交通安全学会がとったデータによると、「車両の速度をよみとる力は、若い人も高齢者もほぼ同じだが、高齢者は自分の体力が衰えていることを認識しておらず、横断予想時間と、実際に横断にかかった時間では、かなりの差がある」のだそうだ。それを受けてか、警視庁では「気をつけろ、クルマははやい、身はおそい」(うろおぼえ)という横断幕をつくり、信号のないところでわたる高齢者が多い環状道路の中央分離帯にくくりつけていた時期がある。
人間の体力は落ちる。中学や高校までは体育の授業があって、ダッシュもそれなりにしていたけれど、卒業してしまえば、よほどのスポーツマンでもないかぎり全力疾走をする機会などない。通過交通のある道を横断しなければいけない状況に追い込まれたとしても、その点に注意して十分に気を付けていただきたいものである。
岩貞るみこ|モータージャーナリスト/作家
イタリア在住経験があり、グローバルなユーザー視点から行政に対し積極的に発言を行っている。主にコンパクトカーを中心に取材するほか、最近は ノンフィクション作家として子供たちに命の尊さを伝える活動を行っている。レスポンスでは、アラフィー女性ユーザー視点でのインプレを執筆。9月よりコラム『岩貞るみこの人道車医』を連載。
《岩貞るみこ》
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