初代ジムニーにクレスタ…「令和」目前でも、昭和が生きているアジアの街角【藤井真治のフォーカス・オン】 | CAR CARE PLUS

初代ジムニーにクレスタ…「令和」目前でも、昭和が生きているアジアの街角【藤井真治のフォーカス・オン】

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スズキ ジムニー 初期型
スズキ ジムニー 初期型 全 5 枚 拡大写真
4月1日に新元号「令和」が発表され、ますます遠くなってしまった「昭和」。しかしながら日本で元気なシニアが活躍しているように、東南アジアでは 40年選手の「昭和の名車」がまだ現役でバリバリと活躍しているのである。

◆ジムニーの初期モデル


今もバリ島などでよく見かけるスズキ『ジムニー』の初期モデル。1970年代にインドネシアでCKD(コンプリート・ノックダウン)生産されて以来、そのコンパクトなボディと走破性で人気を博していたが、現在は残念ながら販売休止中。各国でファンクラブがあるなど根強いファンも多い。日本国内で既に販売されている最新モデルのアジア発売が切望されている。

◆トヨタ・クレスタとブリザード


1980年にトヨタの日本国内の第5販売チャネルとして全国で立ち上がったトヨタ・ビスタ店。当初の看板車種であった2リッターの高級モデル『クレスタ』。海外では『クレシーダ』という名前で輸出あるいはCKD生産されていた。ジャカルタで見かけるこのモデルは今もバリバリの現役である。

急造で立ち上げた日本のトヨタ・ビスタ店は他のトヨタ販売系列(トヨタ、トヨペット、カローラ、オート各店)で売っている車の併売やフロントグリルを変えただけの双子車の販売がメインで、トヨタ間での競争が厳しい後発の販売網。「専売車種が欲しい」という要望にこたえた苦肉の策が、ダイハツの4輪駆動車『タフト』のOEM。『ブリザード』と言う名前がついていた。

ダイハツの「タフト」はインドネシアで現地組立されていた時代があり、オフロードの走破性は定評がありカリマンタン島などでは今でも現役で活躍している。

日本でのトヨタ・ビスタ店はオート店との統合によってネッツ店となり名前が消滅。トヨタの4系列販売店はさらに「トヨタ・モビリティ」という名前に順次統合されていく中、この2つのモデルを見ると昭和のバブルの時代につくられたビスタ店を思い出す。

◆VWタイプ181


70年から80年代にかけて、欧州やメキシコで販売されていたフォルクスワーゲンの『タイプ181』。軍用車用に開発した部品の流用で、ボディも大変シンプル。アジアカーとして一時期インドネシアでも生産されていた。短命で終わったモデルであるが、現在もレプリカ・メーカーにとってのドル箱となっている。

◆トヨタ・キジャンとトヨエース

知る人ぞ知る70年代のアジアカー、インドネシアの『キジャン』。フィリピンでは『タマラオ』という。古いメカニズムを持つK型エンジンを搭載。コストを抑えるためプレス機を使わずに曲げ工程だけで 外板を現地生産したためこういう箱型のユニークなボディとなっている。

後方はトヨタの『トヨエース』。東南アジアでは日本と同じく『ダイナ』という名前で販売。両車とも「働くクルマ」として今もしっかりとお金を稼いでいるのである。ビジネスの良き相棒として愛着を持っているユーザーも多い。トヨタが三菱と対抗し、劣勢ながら商用車ビジネスにきちんと取り組んでいた時代が懐かしく思えるこの2つのモデルだ。



<藤井真治 プロフィール>
(株)APスターコンサルティング代表。アジア戦略コンサルタント&アセアンビジネス・プロデューサー。自動車メーカーの広報部門、海外部門、ITSなど新規事業部門経験30年。内インドネシアや香港の現地法人トップとして海外の企業マネージメント経験12年。その経験と人脈を生かしインドネシアをはじめとするアセアン&アジアへの進出企業や事業拡大企業をご支援中。自動車の製造、販売、アフター、中古車関係から IT業界まで幅広いお客様のご相談に応える。『現地現物現実』を重視しクライアント様と一緒に汗をかくことがポリシー。

《フォーカスオン》

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