あおり運転車にクルマをぶつけてしまった時、弁償は必要なのか?【岩貞るみこの人道車医】
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そんななか、加害者と被害者の車両同士が接触事故を起こす事例も出ている。
◆停止した『あおり車』にクルマをぶつけてしまった時…
双方とも走行中の場合は、過失割合をどうするか複雑になるのでちょっと置いておいて、気になるのは、止まっている加害者に被害者がぶつけてしまう、いわゆる10対0のケースである。
マスメディアが繰り返し報道した、2019年8月の常磐道のケースでは、本線上に停止した『あおり車』に対し、後ろに無理やり停止させられた『被害車』のドライバーがブレーキを緩めてしまい、クリープ状態でぶつかったというもの。これを仮に“常磐道型ケース”と呼ぶことにしよう。
さらに同じころニュースになったのは北海道で発生した、複数台の『あおり車』の前後にはさまれ、前方の『あおり車』がバックしてきたのを避けようと『被害車』が後退したら、後ろにいた『あおり仲間車』にぶつけたというものである。こちらは仮で、“北海道型ケース”とする。
それにしても、ぶつけたときの被害者の心情は察するに余りある。どれだけの絶望感に包まれたことだろう。いったい今後、自分の人生はどうなってしまうのか?
いわゆる「ジューゼロ」と呼ばれる、停止している車両にぶつけて10対0で全面的にぶつけた方に過失が問われるこのケース。あおられるわ、弁償しなくちゃいけないわで、被害者はたまったものではない。
でも、こうしたケースも本当に、ジューゼロで弁償しなくちゃいけないの? 刑法が専門の人に聞いてみると、かなり判断がむずかしいケースだという。
◆事象の起点と終点が誰に原因があったのか
判断がむずかしい=もめる=あおりをしてきた連中と長期的にやりとりをすることになる。そう聞いただけで、げんなりである。
一縷の希望を求めて、損保会社の人に聞いてみた。この場合、どうなるんでしょう。ぶつけてしまった『被害車』が悪いんでしょうか。被害者が弁償しなくちゃいけないんでしょうか?
すると!
「弁護士によって見解が異なると思うが、訴訟になった場合、『被害車』側が『あおり車』の修理代を賠償することはあり得ないと思う。」
なんと! 暗雲の隙間から一筋の輝く光が!これこれ、こういう答えを待っていました!
「事象の起点と終点が誰に原因があったのか」
ここがポイントになるという。
常磐道型ケースの場合、高速道路の本線上で停止させる行為自体が大事故につながる不法行為なので、被害者がパニックになってブレーキを踏む足がゆるんでクリープ状態でぶつけようが、逃げようとしてうっかりぶつけようが、ことの発端は『あおり車』側にあるので、『被害車』側に賠償責任は出てこないという見解である。
さらに、北海道型ケースについても同じように、事象の起点と終点は『あおり車たち』にあるため『被害車』側に賠償責任はないとのこと。
ただし、後ろにいた車両がまったく関係のない一般車両であれば『あおり車』側と『被害車』側で『一般車両』に対する過失割合を計算することになる。そして過剰回避でなければ、『被害車』側の過失は、極めて低くなるはずとのこと。
◆ドライブレコーダーは3種(?)の神器
常識はずれのあおり運転の報道を見たあとに、こうした人間らしい常識的な回答を聞くと、心の底からほっとする。もちろん、こうした判断を得るためには、ぶつけるに至る前後の行動や、ぶつけたときの状況を損保会社や警察に正しく理解してもらわないといけないのだけれど。
となるとはやり、ドライブレコーダー(ドラレコ)は、いよいよ必須になってくる。常磐道型ケースでは、車内にいる人まで記録できるタイプだったのも、犯人逮捕に功を奏していると思う。
そして、7月のこのコラムで書いたけれど、いくらドラレコを装着していても記録媒体であるSDカードの寿命が尽きていたらおしまいだ。ちなみに私の友人は、私のコラムを読んだあとSDカードを確認したら、半年前に寿命が尽きていたらしい。
ドラレコとSDカードのセット、そして任意保険は、もしものときに身を守る現代の三種の神器(二種か?)なのである。
岩貞るみこ|モータージャーナリスト/作家
イタリア在住経験があり、グローバルなユーザー視点から行政に対し積極的に発言を行っている。主にコンパクトカーを中心に取材するほか、ノンフィクション作家として子どもたちに命の尊さを伝える活動を行っている。レスポンスでは、アラフィー女性ユーザー視点でのインプレを執筆。コラム『岩貞るみこの人道車医』を連載中。
《岩貞るみこ》
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