善意の「必要なもの」が時として大迷惑になる【岩貞るみこの人道車医】
特集記事
コラム
私の場合、ちょっとした差し入れも含め、結局、消え物を選ぶことが多い。消え物=消耗品。多くの場合は、食べ物。このところはある程度、日持ちがして、だれもがきっと喜ぶであろう、お米にしている。魚沼のお米農家さんを取材してから毎年、播種に行かせてもらっていることもあり、わたすときに「私が作ったお米です」(実際は、種をまいただけだけど)というと、なんとなく格好もつく。
だというのに、最近は糖質ダイエットというワケわからんもんが流行していて、最強切り札のお米ですら「もらって困るもの」の可能性が出てきて、どんより落ち込んでいるのだけれど。
◆善意で届いたはずの荷物は時として迷惑になる
2019年は9月以降、関東周辺では台風の影響で大きな被害が出た。報道で状況を見るたびにつらくなるけれど、体力もなければ時間もなく、災害現場の映像を見るだけでお腹を壊すへなちょこな私に直接できることはほとんどない。
けれど、気持ちはある。そして少しばかりのお金もある。ならば義援金ということになるのだが、この金は、いったいどのように、誰の役に立つのか見えないと不安になる。人間は、具体的なことが知りたい生き物なのだ。
なにか情報はないかとネットでうろちょろ調べると、ソーシャルネットワーク上に、さまざまなヘルプサインが見つかる。
「本が水没したので、子ども用の本が欲しい」。あら、それなら得意分野だ。一方、捨て犬の支援をしている団体からは「タオル、タオルケット、使ったものでもなんでもいいので送って欲しい」。タオルなら我が家にいっぱいあるぞ。
しかし、ソーシャルネットワークの威力はすごい。翌日、私が送ろうととりかかると、「すでにたくさん集まったので、もう送らないでください」というメッセージが表示されていることがある。
そう。東日本大震災のときもそうだったけれど、善意で届いたはずの荷物は時として迷惑になる。それも、大迷惑。タイミングと量をはずすと、とんでもないことになるのだ。
◆必要とするものを、必要とする数だけ
今回は「もう送らないで」というメッセージを運よく発見できたからよかったものの「不足しています」「助けてください」という表示だけが独り歩きして、しかも、延々とネット上に生き残る可能性もある。どかどかと届き続ける物資は暴力に近い。こういうことは慎重に対応しなければいけないだろう。
このような問題を解決する手段として注目されているのが、某大手通販サイトの「ほしい物リスト」である。ブルーシートや水など、何がいくつ欲しいと明確に表示されている。もちろん、数がそろえば勝手に打ち切りになり、余剰なものがどかすか届くこともない。支援者は、片手にスマホさえあればいつでもどこでも正しく支援できる。知人のいる市役所でも、この制度を利用してずいぶん助かったらしい。
必要とするものを、必要とする数だけ、必要とする人のもとにタイミングよく届ける。これは大切なことだ。そういえば、イタリアの結婚式では、「Lista di Nozze(リスタ ディ ノッツエ=結婚式のリスト)」というシステムがあったっけ。結婚する二人は、対応している店を選び、コップや皿、スプーンやテーブルクロスなど新生活で揃えたいものをリストにする。お祝いをしたい人はその店に行き、自分の懐に合わせて物を選びお金を払う。すると、物が新婚家庭に届くというわけだ。
日本でもあればいいのにと、心底思ったものである。
さて、今回の災害は、水没で車両の被害も多く出た。そして、地方部では車がなければ、即、移動困難者である。クルマ好きとしては、なにかできることはないのかと、心底、考えさせられる。
某通販サイトの「ほしい物リスト」、イタリアの「Lista di Nozze」。これから間違いなく発生する大災害に備え、こういう、ニーズにしっかりと応じられるシステムが、クルマ業界でも生まれるといいのにと感じている。
岩貞るみこ|モータージャーナリスト/作家
イタリア在住経験があり、グローバルなユーザー視点から行政に対し積極的に発言を行っている。主にコンパクトカーを中心に取材するほか、ノンフィクション作家として子どもたちに命の尊さを伝える活動を行っている。レスポンスでは、アラフィー女性ユーザー視点でのインプレを執筆。コラム『岩貞るみこの人道車医』を連載中。
《岩貞るみこ》
この記事の写真
/