「あの頃」の東京モーターショー…スバル/ホンダ/いすゞ編【懐かしのカーカタログ】
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◆スバル(富士重工業)
“ジェット機からスバルまで 技術の富士重工”のフレーズも懐かしいスバルのパンフレット。タイトル写真では控えめに並べてあるが、実は4つ折り構成の縦2面でブロンドの女性のなんとも艶めかしい写真が使われていた。“オー・モーレツ”のCMが流行った時期かもしれないが、スバル車とこのモデルとの関連性は不明であり、まして当時は小学生だった筆者が、果たしてどういう面持ちでこのパンフレットを貰ったのかは、まったく覚えていない。
そして中面を空けると、やはり70年代らしいサイケデリックなイラストで、何とモンテカルロ314kmと書かれたスゴロクになっている。まあ遊び心に溢れているといえばいえるが、市販型はそのまわりに小さく載せられている……そんな体裁となっている。
見ていくと『スバル1300』『スバル1000』(『スバル1100バン』も)と軽自動車『R-2』の後期型がメイン。さらに“新発売”と銘打って初代の『レオーネ』のクーペが載せられており、これは別に1ページ扱いでも紹介されている。
「野生を秘めた異相のクーペ/思わずうなる豪華・充実設計のコクピット/定評あるスバルFF方式」といった記述が添えられている。「クーペだけ?」と思われる方もおられるかも知れないが、1971年に最初に登場した最初の『レオーネ』はまさにクーペで、セダン系と、その後のスバルの4WDの原点でもあるエステートバンはクーペよりも後に登場したもの。
なお登場時のCMソングはワイルドなイメージだった歌手・尾崎紀世彦が歌う“どこから来たのかお前と俺”というタイトルの曲で、またも“持っています自慢”をさせていただくと、当時ディーラーで配られたソノシートを筆者は今でも持っている。
ほかに『サンバートラック』『サンバーライトバン』の姿も。このクルマたちが現役だった頃に物心がついていた世代の方なら、愛らしいこの姿が懐かしく思えるだろう。
◆ホンダ
ホンダが4輪市場に進出したのは1963年のことで、この年、最初の量産市販車でトラックの『T360』と、乗用車では2座席オープンモデルの『S500』を発売している。どちらもDOHCを搭載し(つまり『T360』も!)、いかにもホンダらしいユニークな意欲作だった。その後1967年に軽乗用車の『N360』が生まれ、1972年に初代『シビック』が世に送り出されている。
写真のパンフレットは1972年のものと思われる。“思われる”と曖昧に書いたのはパンフレット自体に明記がないからで、しかし『145』『145coupe』に“新発売”の表記があるところから判断。1969年に登場した『1300』が1433ccの水冷エンジンにマイナーチェンジを果たしたのが『145』であり、それが’72年だったという訳だ。
もう1台見落とせないのは『シビック』にも“新発売”の文字が添えられていること。まさしく初代SB1型が登場したのがこの72年で、コチラは正真正銘の新発売だった。『ライフ』(Nシリーズの後継モデル)を大きくしたような2BOXスタイルは当時は実に新鮮で、登場直後にハッチバックも登場、翌’73年には排ガス規制に適合させたCVCCの1.5リットルエンジンや4ドアも登場スポーティグレードの“RS”の登場は’74年のことだった。
そのほか第4面は“ホンダ軽商用車”シリーズとして『ライフ ステップバン』ほか、『TN-V』『ライフ バン』の姿も。いずれも当時、街中でよく働く姿が見られた身近なクルマたちだった。
◆いすゞ
前身の東京自動車工業株式会社が設立されたのは1937(昭和12)年(乗用車製造の企画がされたのは1916年に遡る)、いすゞ自動車への商号変更は1949(昭和24)年。それから1992年に乗用車の開発を中止、2002年にはSUVの販売も終了したことで、惜しまれつつ乗用車の歴史に幕を下ろした。
とはいえいすゞの乗用車はどれも後世に名を残す車種ばかり……といったところで、1957年に完全な国産化を果たした『ヒルマン』や1960年代の『ベレル』など、トラック、バスを手がける一方で、実直なファミリーカーを作り出す自動車メーカーとしても多くのユーザーに愛された。
そんないすゞの第1の黄金期といったら、『ベレット』『117クーペ』が現役だった頃だろう。写真でご紹介しているパンフレットは1970~71年とその前後のもの。『ベレット』は“ベレG”の愛称で後にユーミンの歌の歌詞にも登場したが、欧州車テイストのコンパクトなセダン&クーペだった。
ベレGには1600GTR、1600GT、1800GTなどがあり、1800GTは「出力あたり車両重量8.2kg/ps」と紹介されている。GTのほかにも“1600スポーツ”、ファミリーユースの“1500デラックス”、ベースグレードの“スペシャル”(1300)といったバリエーションが展開され上級セダンの『フローリアン』とともに、個性豊かなラインアップが展開されていた。
そして『117クーペ』は、いすゞを語る上で真っ先に名が挙がるクルマだ。誕生は1968年で、1981年に後継車種『ピアッツァ』の登場でその任を譲るまで、13年間現役を通したのだった。初期はハンドメイドで量産化に変わったのは1973年から。“ECGI”と呼ぶ電子制御燃料噴射を国産車ではいち早く採用したこともポイントだ。が、何はともあれG・ジウジアーロが手がけた洗練されたクーペスタイルは今見ても息を呑むほどの存在感があり、こんな国産車が現役だった頃は本当に懐かしい……そう思わずにはいられない。
というか、何を隠そう筆者が最初の自分の愛車にしたのがこの『117クーペ』であり、今回撮影したパンフレットのうち、黒い地色の2つ折りのものは、モーターショー会場で少なくとも2部以上戴いてきて、1部は保存用、1部は閲覧用、そしてもう1部は自分の部屋の壁に貼っておく用にしていた、まさにそのものなのである。
【懐かしのカーカタログ】パンフレットで振り返るあの頃の東京モーターショー…スバル/ホンダ/いすゞ編
《島崎七生人》
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