巨匠G・ジウジアーロがデザインした海外の名車あれこれ【懐かしのカーカタログ】
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◆VWゴルフ/シロッコ/パサート
量販モデルで最初といえるのがVWの各モデル。中でも『ゴルフ』(1974年)は、ビートル時代から世代交代を果たすための重責を担っての登場だった。メカ的にもRRからFFへの大転換だったが、1410mmと全高を高くとり、コンパクトカーながら巧みに室内スペースを確保した。
写真は77年のヤナセのパンフレットで、実はまだビートルが載っている時代もの。一方で新時代モデルは『ゴルフ』のほか『シロッコ』(1974年)『パサート』(1973年)の3モデルが揃い踏み。『シロッコ』の説明箇所には“デザイナーはイタリアのジウジアーロ。今をときめくカーデザインの世界的なスーパースター”とある。
◆アウディ80
「B2」と呼称される2代目の『アウディ80』(1978年)は、初代同様にジウジアーロの手によるもの。6ライトのキャビンをもち、シンプルにして端正なスタイリング。インテリアもボックス型のメーターの左右にライトスイッチなどを振り分けた斬新なアイデアが盛り込まれていた。
後にアウディの代名詞にもなる「クワトロ」はこの世代から登場。
◆フィアット・パンダ/ウーノ/プント
スーパースポーツカーも手がける一方で、ジウジアーロは、いわゆる大衆車のジャンルでも才気を発揮した作品を数多く残している。『パンダ』(1980年)は傑作のひとつで、平面ガラスやハンモック状のシートなど、簡素を極めたデザインは目に止めずにはいられない個性を発揮していた。
対して『ウーノ』(1983年)は、コンパクトカーながら優雅な面質のスタイリングが特徴で、この“作風”は同世代の日産『マーチ』でも展開。作風はやや異なるが『いすゞ・ジェミニ』(1984年)『セアト・イビーザ』(1984年)なども同世代。
さらに少し年代の新しい『プント』(1993年)では、さらに豊かな味わいのスタイリングと、驚くほど広い室内・ラゲッジスペース空間を実現。Cピラーに縦に組み込んだリヤコンビネーションランプや、6ライトの4ドアのスタイリングが秀逸。
◆ランチア・デルタ/プリズマ/テーマ
上級セグメントを担うランチアでは、直線基調の『デルタ』(1979年)とその3ボックスセダンの『プリズマ』(1982年)がある。『デルタ』は振りスターフェンダーとスポイラーで武装した「インテグラーレ」が有名だが、素のボディのシンプルさが見逃せない。
『テーマ』(1984年)は1435mm(6V)の背筋を伸ばした上品なスタイリングが特徴。特徴的なプレスドアは“ティーポ4”の協業により展開した『サーブ9000』(1984年)『フィアット・クロマ』(1985年)でも採用。また上級セグメントのセダンでは、ほかにも『ルノー21』(1986年)『クライスラー・イーグルプレミア』(1987年)なども手がけている。
◆マセラティ3200GT
写真のカタログはマイナーチェンジ後の“クーペ”のものだが、オリジナルの『3200GT』(1998年)のスタイリングはジウジアーロだ。
マセラティではほかにセダンの『クワトロポルテ』(1976年)や『ボーラ』(1971年)『メラク』(1972年)も彼の作品として忘れられない。スーパースポーツカーでは市販化されたモデルとしてほかに『ロータス・エスプリ』(1972年)『BMW M1』(1978年)『デロリアンDMC12』(1981年)なども。
◆アルファロメオ
ベルトーネ時代からアルファロメオとは長く関わりのあるジウジアーロだったが、イタルデザインでもその関係性は続いた。『アルファスッド』(1971年)とそのクーペ版の『アルファスッド・スプリント』(1976年)や、トランスアクスル方式を採用した『アルフェッタGT/GTV』(1974年)などは70年代の代表作。
一方でやや時代を隔てて2000年代になって登場したのが『ブレラ』(2005年)『159』(2005年)。『ブレラ』はショーモデルのイメージを量産車に落とし込んだもので、成り立ちは『いすゞ・ピアッツァ』の事例に近い。
『159』は、前任の『156』の後期フェイスリフトがジウジアーロと言われ、その発展型とも思えるフロントフェイスとクールなスタイリングを特徴としており、ジウジアーロかどうかは未確認だがワゴンボディもラインアップしていた。
【懐かしのカーカタログ】巨匠G・ジウジアーロがデザインした海外の名車あれこれ
《島崎七生人》
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