前編では、ダイハツの不正問題に対し、第三者委員会の報告書を始めとする資料と、トヨタ、ダイハツ関係者に対して行った取材をベースに、ジャーナリストとしてユーザーの心配に答えるべく、状況の説明と分析を行った。ここからは広く自動車業界に対して、「何故」と「どうするか」に関する話へと移る。
174件という不正件数は未曾有の数字であり、多くの人が衝撃を受けたと思う。ただここであまり報道されていない事実がある。調査が8ヶ月も掛かった主な理由でもあるが、今回の調査対象になった試験項目は総数で90万件あった。それを多いとも少ないとも言わないが、分母が90万件のうちの174件である。
「トヨタ車の開発が遅れてもいいから徹底的に調査しろ」
これはトヨタ上層部から聞いた話だが、2023年4月の最初の発表で重大問題と受け止めたトヨタは、問題の洗い出しのための人員を派遣した。「トヨタ車の開発が遅れてもいいから徹底的に調査しろ」と号令を掛け多数のエンジニアをダイハツに送った。そういう人海戦術があっての90万件である。信頼を根底から揺るがした話には、どこまで行っても万全はないが、それでもとにかく、さらなる不正発覚が極力ないように、全てを今回一回で洗い出したいという明確な意思は感じる。
そして、第三者委員会も主張している通り、親会社のトヨタの調査など信頼できないという声を見越して、権威ある調査機関であるテュフ・ラインランド・ジャパン(TRJ)に監査を頼んだ。金額はわからないが、相手も決して割が良い仕事ではない。ミスがあれば大きく評判を落とすだろう。状況的に安くしてもらえるとは思えず、割高な料金が発生したことは想像できる。それでも第三者を入れる以外に出口はなかったと思われる。
もちろんTRJという第三者を入れたからと言って万全というわけではないし、そもそも外部の私企業に過ぎない。認証を与える権限は国交省にしかないのだから、どんなに権威があろうとそれは参考に過ぎない。とは言え、この危機的状況で、「自らの調査は価値がない」からと言って何もせず国交省に丸投げというわけには絶対に行かない。可能な限りの座組を作って、ベストを尽くすしかない。それだけの危機を作り出したのはダイハツ自身だし、親会社としてのトヨタも無罪を主張できる立場ではない。
何故、不正は起きたのか?
ではそれは何故起きたのか? この不正は34年間にわたって行われてきたと言う声が多いが、不正行為の年代別分布のグラフを見ると、顕著に増えている変異点は2014年である。それ以前の1989年から2013年の24年間は平均すると4年に1件程度である。もちろん不正はゼロであるのが当たり前で、少ないとは言え許されることではないが、おそらくそれはまた別の原因だと思う。
全体の97%が2014年以降に発生している点を見ると、ここで何か大きな変化があったと見るべきだろう。よって、構造問題を抱える大量不正事件としては2014年からの連続で見るべきだと筆者は考える。
第三者委員会の報告書もそこは同じ見解で、その原因を2011年9月に発売した『ミラ イース』に求めている。ミラ イースは、ダイハツの戦略を「短期開発」に振り向けたきっかけとなるモデルである。通常、開発費はその多くが人件費なので、短期で開発すれば開発費はグッと安くなる。それまで軽自動車セグメントで、スズキにどうしても勝てなかったダイハツは、短期開発による低コスト戦略に勝機を求めた。ミラ イースで果たした短期開発の成功によって、この戦略を拡大することに決め、全てのモデルに短期開発を適用し始めたのが2014年である。
短期開発の目的は人件費のコストダウンなので、同じ着眼で人員の削減が行われる。そのターニングポイントは法規認証(以下法規)では2010年、安全性能担当(以下安全)では2011年となっている。この人員削減が引き金となって、認証検査に大量の不正が現れるのがタイムラグをおいて2014年からと考えると、相当の相関関係が認められるのではないか。
ちなみに、人員削減がピークに達するのは法規で2015年、安全では2019年となっている。巨大不正事件という結果から見る限りこの人事に無理があったことは明白で、ここはまさに経営の責任が問われる部分だろう。ではその時の指揮権は誰にあったのか?
報告書を見ると、短期開発のはしりは2005年、トヨタ出身の会長である白水宏典氏が就任し、白水氏の指揮の下、2007年頃から軽自動車で収益を上げられるビジネスモデルを目指した構造改革がスタートする。この中で開発工数と予算を削減することを目的にした短期開発の具体的なアイディアや方法の検討が開始され、後に前述のミラ イースで成功体験を挙げる。
つまり短期開発の種子は白水会長時代に蒔かれたことになる。ただし、グラフを見る限り白水会長が退任する2010年までは人員削減は顕著な形では行われていない。法規認証については6%の削減が見られるが、安全性能はむしろ8%増えている。つまり白水会長時代は、短期開発をスタートし、推し進めたが、極端な人員削減は行っていないことがわかる。ここまでは正当な競争領域のコストダウンだったとみなして良いのではないかと思う。
ダイハツ内部の統治体制がどうなっていたのか分かりにくい部分があるが、白水氏が改革をリードしたことを前例に、戦略と人事に対して会長に発言権があったと仮定するならば、以後の会長職と人員削減の相関関係は以下のようになる。
上に述べた通り、法規認証や安全担当の人員が削減され始めたのは白水氏の後を請け、2011年に就任したダイハツプロパーの奥村勝彦会長時代である。その奥村氏の後に、再びトヨタ出身の伊奈功一会長が就任し、ここで法規の削減のピークを迎える。安全の削減でピークを迎えるのは伊奈会長の後任、ダイハツプロパーの三井正則会長時代となる。
念の為に問題の2011年から2019年までの歴代社長も挙げておく。2010年から2012年は伊奈功一社長。2013年から2016年は三井正則社長。2017年からはトヨタ出身の奥平総一郎社長となっている。
つまり2011年以降、白水会長時代の短納期開発という成功体験をさらに拡大するため、複数の経営世代にわたって、人員削減を強行した絵柄が浮かんで来る。人も予算も足りない中で短納期を義務付けられ、さらに人数を最盛期の40%まで絞られれば、業務が回らなくなるのは普通に考えて当然である。この責任を全て現場の社員に押し付けるとしたら、それは欺瞞と言えるだろう。
報告書を見ると、現場の人手不足は上に伝わって来なかったと記されているが、短納期と人員削減を同時に実行すれば、そのリスクの高い環境で業務が回るかどうかを厳重にチェックするのは経営陣の重要な責務であり、「声が上がってこない」などと言っている場合ではない。そこに不作為があるとすればそれは職務怠慢を責められてしかるべきだ。問題の核心はこの期間の経営陣にある。
「風通しの悪さ」から生まれた絶望的な不正
もうひとつ特筆すべきは、組織の風通しの悪さである。現場から「できない」と報告が上がると、人事の判断ができる経営層まで上がることもなく、管理職クラスから「で? どうする?」と問題解決を現場に丸投げする反応しか出て来ない。目安箱のような制度もあったが、解決策や援護が出ることは稀で、むしろ犯人探しが始まる風潮もあったと言う。そんな目安箱なら百害あって一理なしだ。
そういう背景でクルマを作り、型式認定認証を受けようとすれば、どうやってもリソーセスが足りない状態が発生しても何ら不思議はない。そしてすでに述べた通り、どちらか片方しかできないのであれば、まずクルマ作りを優先し、手の回らない型式認定認証については、形だけクリアするしかないとなるのもまたよく理解できる。彼らは手を抜こうとしたわけでも、公的試験を軽んじたわけでもなく、声を上げても誰からも助けが得られない中で、絶望的な不正に手を染めたのではないか?
ここは経営陣の優先順位がおかしい。トヨタの豊田章男会長は言う。「クルマ作りには重要なことがたくさんあります。安全、品質、生産量、コスト。どれも無視することはできません。けれども優先順位を忘れてはいけません。1番は安全、次に品質、それから生産量、最後はコストです。この順番を間違えるとおかしくなります」
実はトヨタもダイハツと同じような問題を経験している。トヨタのグローバル生産台数は2001年には510万台に過ぎなかった。そこから2007年まで爆発的な生産台数の躍進を見せて850万台を達成する。客が門前列をなしているのだから、作れば売れる。