【三菱 ミラージュ 40年】後編…バブルでノリノリ! からの一転崩壊、ディスコンからAクラスに
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◆第3世代(1987年~)……歴代で最もノリノリ
現代の40代、50代のクルマ好きにとって、最も印象深かったミラージュといえば、この3代目ではなかろうか。うねるようなボディサイドの造形が特徴的なこの代は、バブル期のクルマブームの雰囲気にも乗って、技術的にもキャラクター的にも歴代で最もノリノリだったモデルと言っていいだろう。
クルマファンの熱い視線を集めたのはスポーツグレードの「サイボーグ」。ショックアブゾーバーに小刻みな振動は柔らかく吸収し、大きな入力には強い減衰力を発揮するという周波数感応式を採用。最強エンジンは1.6リットルインタークーラーターボ。FWD(前輪駆動)とAWD(4輪駆動)があり、AWDはビスカスカップリングセンターデフ装備のフルタイム式。世界ラリー選手権で活躍していたDセグメントミディアムクラス『ギャランVR-4』に相通じるものがあり、VR-4ばりのパワードリフトも余裕だった。
ボディタイプは3ドアと4ドア。それまでRWD(後輪駆動)のランサーはこの代からFWD(前輪駆動)ベースとなり、5ドアボディの派生モデルになった。3ドアはこのサイボーグのほか、一般向けの「スイフト」、女性向けの「ファビオ」、リアクォーターウィンドウがハメ殺しとされた異色の2シーター「ザイビクス」の4つ。
4ドアのほうは“ミニギャラン”的な外装を持つ、ややシックなモデルであったが、そちらにも1.6リットルターボエンジンとビスカスカップリング式センターデフを組み合わせた4WDターボモデルを頂点とした、いかにもバブル期らしい過剰性あふれるラインナップとなっていた。
◆第4世代(1991年~)……白物家電にエッジの効いた技術を搭載
第3世代のマッチョなイメージから一転。柔らかい曲面ボディとなった第4世代。アメリカなど海外での販売を拡大するためのコンセプトチェンジであったが、三菱自ならではのキャラクターが希薄で白物家電的になったとも評された。バブル崩壊の余波も手伝って販売は苦戦気味であった。
半面、技術的には三菱自らしいエッジの効いた新機軸が数多く盛り込まれた。絶対的権力者としての振る舞いを強めていた当時の中村裕一社長が技術屋としてこだわりぬいたエンジンでは、量産車としては世界最小排気量の6発となる1.6リットルV型6気筒DOHC、現代のエンジン設計ではとくに重要視されているシリンダー内の縦方向の気流を強く巻き起こすことにいち早く着目した希薄燃焼エンジン「MVV」、可変バルブタイミングリフト機構の採用で最高出力175psを発揮した1.6リットル「MIVEC」エンジン等々。シャシーではリアサスペンションにマルチリンク式を採用。コンパクトクラスとしては異様にぜいたくな構造を持っていた。
ボディタイプは3ドアと4ドアのほか、93年に2ドアの「アスティ」が追加された。
◆第5世代(1995年~)……販売不振だったが十分にスポーティ
4代目のメカニズムやコンセプトを継承しつつ、デザインを丸みを帯びたものから三菱自らしい張りの強い機械的なものに回帰させるという考え方で作られた第5世代。
環境性能と動力性能の両立を狙った新開発1.5リットルDOHCを量販エンジンとし、その下に安価な1.3リットルを用意。3ドアおよび2ドアクーペのエンジンは可変バルブタイミングリフト機構付きの1.6リットルDOHCが頂点。4ドアにはそれに加え、最高出力205psの1.8リットルDOHCターボ+AWD、および1.8リットルV6SOHCが上位パワートレインとして与えられた。
三菱自らしさを出そうとしたこの第5世代も、ミラージュの衰退を止めることはできなかった。かつては三菱自躍進の立役者のひとりであった中村氏が会長になって以降、経営は次第に混乱した。総会屋への利益供与事件、海外法人でのセクハラ事件、そして2度のリコール情報隠蔽などの重大な不祥事が相次いだことで三菱自のブランドイメージが落ちていくなか、ミラージュは世界的に販売不振に陥り、この代でモデルは打ち切りとなった。ただし、実際に乗ってみるとこの代のミラージュは非常に活発に走り、性格的には十分にスポーティであった。
◆第6世代(2012年~)……超軽量が有利
第5世代が2000年にディスコンとなったことで、ミラージュの系譜はいったん途絶える。Cセグメントコンパクトクラスの4ドアは『ランサーセディア』、『ギャランフォルティス』となり、ミラージュ・ハッチバックは消滅。ミラージュの名前はミニバン『ミラージュディンゴ』が受け継いだが、それも2年後には生産中止となった。ミラージュの顧客の受け皿となったのは、下のクラスのBセグメントサブコンパクト『コルト』だった。
ミラージュの名が突然復活したのは2012年。コルトよりもさらに下のAセグメントミニカーとしての再登場だった。ASEAN(東南アジア)市場向けの低価格車として開発されたモデルだったが、車重がわずか870kgという超軽量が燃費性能面で有利にはたらくことから、日本をはじめとする先進国市場にも投入された。
CセグメントとAセグメントではクルマの性質そのものがまったく別モノになる。今日のミラージュは名前がミラージュというだけで、走りを看板としていたかつてのミラージュのDNAは残っていない。クルマとしての出来は、実は案外悪くない。ボディシェルは国産Aセグメントの中では出色の強固さで、サスペンションの動きも素直だ。燃費ももちろん十分に良い。だが、このモデルが日本に投入された当時、開発陣が語った「数が出さえすればスポーティモデルを出す余地も出てくる」という夢は現実のものにはならなかった。
三菱自が破竹の勢いで成長した時代に輝きを放ち、その後の迷走とともに沈んでいったミラージュ。このままではあまりに寂しい40周年と言うほかないが、果たしてこの先、ミラージュがヘリテージのショウケースに収まるだけの存在になるのか、世界で再び脚光を浴びる日が来るのか。三菱自ファンはもちろん後者を望んでいることであろう。
【三菱 ミラージュ 40年】前編…先端志向の車作りを伝える
【三菱 ミラージュ 40年】後編…バブル、バブル崩壊、ディスコンからAクラスに[写真追加]
《井元康一郎》
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