「モビリティリゾートもてぎ」は、2輪の世界最高峰レース「Moto GP」や4輪の国内最高峰レース「SUPER GT」が開催されるような日本でも有数の国際規格サーキット。その敷地内に自動車博物館のような施設があるのはご存知だろうか。今回はリニューアルされた「ホンダコレクションホール」について、学生アルバイトである筆者からお伝えしていく。
レスポンスアルバイターである筆者が招集された今回のイベントは、3月1日にリニューアルオープンした「ホンダコレクションホール」の内覧会(2月29日)。どうやら、このリニューアルによって展示内容がガラッと変わったとのことなので、内覧会の前夜からワクワクが抑えきれなかった。実際、その夜は翌朝寝坊をしないか心配で、あまり良く寝ることが出来なかった。
筆者は大学自動車部出身であるため、このサーキットにはツインリンクもてぎ時代から色々とお世話になった。その時からもホンダコレクションホールは存在しており、リニューアル前も新旧や市販・競技車問わず様々なホンダ車が展示してあるクルマ好きにはたまらない施設ではあった。イベント前の事前情報によると、今回は展示車両の配置に、よりストーリー性を持たせたとのこと。どういうことだろうか。
◆ホンダの原点である2機のマシン
現場へ到着するとまずはオープニングセレモニーとして、宮城光さんとホンダスマイルのMCさんによるエンジン始動パフォーマンスが行われた。宮城さんは、ホンダのワークスライダーとして、80~90年代の全日本選手権や全米選手権のチャンピオン経歴のある選手。そんなスゴい人の手によってエンジンが掛けられるマシンがRC166とRA272というこれまたスゴいマシン。それぞれ、250cc6気筒部門の世界GPでチャンピオンを取ったバイクとホンダが初めてF1を優勝したクルマという、ホンダにおける2輪と4輪の「原点」そのものとも呼べる逸品だ。
この時代のエンジンのため、確実に火が入るかどうかはプロのエンジニアでも分からないとのことだったが、幸いにして両機とも火が入った。エンジンがかかった瞬間に感じたことは、一言で「畏れ」。正に当時のモンスターマシンの風格が、現代でも感じられた。内臓がビリビリとするような振動が両機から伝わってきたのである。これらが複数台出走するような当時のレースを想像すれば、当時の人々が熱狂するのも納得である。
4輪の車両保存を担当するHRCのエンジニアの方に話を伺うと、RA272は2000年代前半以来の大規模整備になったという。モノコックはクラックを探すために、車体全体のCTスキャンやカラーチェックという検査を実施。また、新しく出ない部品は当然製作しなければいけないのだが、当時の部品設計図は手書きのものであったため、残っていない図も多かったという。その場合は、リバースエンジニアリングと言って、付いていた部品の構造を逆算し、製作し直すのである。
◆リニューアルで展示車両が減った? そこにも意図が
オープニングセレモニーが終わり、本題のホールのリニューアルについての案内が始まる。展示を見てみると、「あれ?こんなに飾ってあるクルマって少なかったっけ?」と失礼なことを思ってしまうも、どうやらこれは意図的に展示車両を減らしてあるからとのこと。リニューアル以前の2輪と4輪で別々のフロアに展示をするということを辞め、時代の流れに沿うように2輪4輪の区別なく展示を行うことで、ホンダの歴史を感じられるようになっている。
また、展示物はバイクやクルマだけでなく、ホンダの歴史を語る上では欠かせないモノや文書までもが展示されてあった。本田宗一郎が最初にバイクを造った際に燃料タンクとして使われた「湯たんぽ」が展示されていたのは、非常に興味深かった。他にも、2輪のマン島TTレース出場の際に、宗一郎が全社員に向けて宛てたとされる出場宣言文など、よく現代まで保存していたなと驚かされるようなものまで展示がされてあった。
もちろん、ホンダと言えばで想像されるような『NSX』や各年代のホンダF1、MotoGP競技車両は展示されていたので安心してほしい。車両以外も展示されるようになったということで、展示物後半の近年の歴史について語られているエリアには『ASIMO』や『Honda Jet』の模型が飾られているのも面白かった。リニューアルを経て、ホンダの全てを知れるような施設になった。
◆万人向けの博物館として、施設を楽しめるようになった
これらの展示物は、手持ちのスマホから流す音声ストーリーガイドを聞きながら見ることができ、以前よりも自動車博物館のような印象が強くなった。実際、リニューアルの際に、ホンダコレクションホールという名称をホンダミュージアムにするという計画もあったという。しかし、コレクションホールという名称は既に世界中に認知されている名前であったため、名所を守り続けるというスタンスで、施設の名前は変更しなかったとのこと。ホンダの新しい技術を生み出し続ける挑戦心と、伝統と大切にする気持ちの両方を感じられたイベントであった。