1995年、私はおんぼろウーノでミラノへ向かった【岩貞るみこの人道車医】
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新型コロナウィルスによるステイホーム期間特別企画、第3回である。
前回、バスには乗れるようになったものの、留学3か月めにして、クルマのない生活に私は悶絶していた。
自由に移動できないとは、こんなにつらいのものなのか。もっとも今現在も、緊急事態宣言によるステイホームで、似たような環境で悶絶中なのだが。高齢者の免許制度を議論するときに「免許を取り上げると高齢者の認知症が進みます」と、幾度となく聞いたけれど、わかる。わかりすぎる。今、完全に疑似体験中である。過疎地の高齢者に移動の自由を! 自動運転がんばれ! と、改めて思う次第である。
話を1995年にもどそう。イタリアにわたって3か月が過ぎたとき、私はクルマを買った。イタリア人の女の子とルームシェアをしていた住所で住民票をつくり、駅前の中古車屋に駆け込んだのである。
しかし、愕然とした。中古車の高いことといったらないのだ。ぼっこぼこの、塗装ハゲハゲの、いつ煙を吹いて止まるかわからない代物のフィアット『ウーノ』が、25万円もするのである(驚愕!)
どうやらイタリア人にとってクルマは壊れるものであり、どんな状態でも走ることができれば価値があり値崩れしないらしい。そういえば、イタリアでイタリア人にイタリア車は壊れやすいと言ったら「NASAのスペースシャトルだって壊れるのに、イタリア車が壊れないわけないじゃない、あっはっは!」と、笑い飛ばされたことがある。
しかし、どんなぼっこぼこでハゲハゲなクルマであっても、クルマを手に入れた感動にひたり、私は走りまわった。昨日は東へ、今日は南へ。第一回でもふれたけれど、ボローニャは、ミラノ~ベネツィア~フィレンツェの三角形の中心にある。どっちに向かっても、超絶楽しいのである。
◆高速道路上でも…
ある日、ミラノに向かってアウトストラーダ(高速道路)を走っていたときのことだ。ミラノまでは230km。メルセデスベンツやボルボに乗るビジネスマンたちはこの距離を「一時間」と断言する。おい! えーっと、イタリアの高速道路は一応、制限速度は時速140kmなのだが、当時のイタリアはテレカメラ(ちょっとシステムは違うけれど日本でいうオービス)がなく、ぶっ飛ばし放題だったのである。
ともあれ、私のおんぼろウーノでは、時速100kmがいいところで、一番右の車線(右側通行なので)~中央車線あたりをのんびりと走行していた。すると、一台のクルマが私の後ろにぴったりとついた。
なんだ? あおり運転か?
ルームミラーで確認すると、後ろのクルマのイタリア男は、にやにやしているように見える。
速度を上げる。ついてくる。車線を変える。ついてくる。
間違いない。私にロックオンしている。どうしよう?
すると、次にそのクルマは、すすーっと速度を上げて、私の真横についた。こちらをじーっと見ている。
無視! 断固として、無視!
気づかないふりをして、前を見つづけて運転するしかない。しかし、手のひらからは汗が吹き出し、ハンドルを握る手がべっとりだ。
私が無視を続けていると、相手のクルマの窓が開いた。しきりに大声で私に呼び掛けている。こうなると、さすがの私も少しおかしいと感じる。なんだ? もしや私のおんぼろウーノになにか不具合でも? 彼はそれを教えてくれているのではないか?
不安にかられた私は、隣のクルマを見た。目が合う。すると彼は、突如として、手を口元に持っていき、指先をくいっと上げた。そのジェスチャーは……。
『コーヒー飲まない?』
はい?
続いて彼は、前を指さした。そこには、サービスエリアの看板があった。
高速道路上でもナンパかよ! えーっと、オリエンタルスマイルで、やんわりお辞儀をし、そのまま先に進ませていただいた。でも、今なら度胸もついたし、どんな人がどんな話をして女の子を口説くのか知りたかったかも。あ、今はもう年齢的に、声をかけてもらえないのか。残念!(たぶん続く)
※これは私がイタリアに留学していた1995~1997年のときの話です。デジカメがないころなので、当時の写真はありません!
岩貞るみこ|モータージャーナリスト/作家
イタリア在住経験があり、グローバルなユーザー視点から行政に対し積極的に発言を行っている。主にコンパクトカーを中心に取材するほか、ノンフィクション作家として子どもたちに命の尊さを伝える活動を行っている。レスポンスでは、アラフィー女性ユーザー視点でのインプレを執筆。コラム『岩貞るみこの人道車医』を連載中。
《岩貞るみこ》
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