歴代マツダ車 開発主査が選ぶ1台とは?…マツダ3担当・谷本智弘主査、マツダ6担当・脇家満主査 | CAR CARE PLUS

歴代マツダ車 開発主査が選ぶ1台とは?…マツダ3担当・谷本智弘主査、マツダ6担当・脇家満主査

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マツダ・ロードスター(初代、当時はユーノス・ロードスター)とコスモスポーツ
マツダ・ロードスター(初代、当時はユーノス・ロードスター)とコスモスポーツ 全 14 枚 拡大写真
マツダは2020年1月30日に創立100周年を迎えた。現在、同社の100周年スペシャルサイトでは、歴代モデルの人気投票が行われている。4月6日集計時のTOP3は『AZ-1』『ランティス』『マツダ787』。そこで、マツダの開発主査に、「私の選ぶ1台」とTOP3のモデルについて語ってもらった。

◆マツダ3 開発主査・谷本智弘氏

■私が選ぶ1台

「ユーノス・ロードスター」(初代マツダ『ロードスター』)です。理由は、若い頃にこのクルマを買わなかったことを後悔しているため。遡ること高校時代。当時バイク雑誌を見ながら“スポーツモデルが欲しい”と免許も無いのに友人と小さな夢を語り合っていました。実はその夢も果たしていないのですが、当時からバイクもスポーティデザインが好みでした。

その後、学生時代に『RX-7』(FD)のデザインを雑誌で見て“これカッコいい”と心が動かされたことを思い出します。その頃マツダでクルマ創りをしたいと考えていたので、入社後はこれに乗りたい! と夢を持っていました。しかし現実的な理由により、その思いも果たさず仕舞い。

当時ロードスターは販売されていましたが、何故か選択肢に入れなかった。入社後、ロードスターは同期にも人気が高く、乗せてもらう機会がよくありました。”とにかく気持ち良い”。その爽快感・思いのまま軽やかに操る楽しさは、これぞスポーツカー、です。

この人気投票で当時を思い出し、若い頃にロードスターがある生活とない生活では、きっとその後のクルマ選びや、クルマを通じたライフスタイル、楽しみ方なども変わっていただろうなぁと思い、私の1台に選びました。若い時の経験や子供時代のドライブの思い出は、心に残り記憶に刻まれます。将来、その時の記憶に残る1台になれるようなクルマ創りをこれからも目指していきたいと思っています。
マツダ ロードスター(初代、ユーノスロードスター)

■TOP3の感想

どの1台も入社前後のクルマです。同じ時期に固まっていることに驚きました。初見では、AZ-1は意外でしたが、あのクルマは強烈な印象がありますよね。チョロQが本物のクルマになったようなデザインで、まずあのサイズでガルウィング。ドアが無ければゴーカートのような、低重心。あの姿で実際の公道を走っている姿を子供達が見ると、きっと彼ら彼女らにとってはスーパーカーに見えたでしょうね。皆の目線を釘付けにする魅力を持っているクルマとしてTOP1は納得です。

次にランティスも意外でした。『ファミリア・アスティナ』の後継車として当時のファミリアと同時に、ハードトップセダンと共に販売されています。私はマツダ3の主査になる前は、ドイツの開発センターに赴任していましたが、そこではランティスを半年に1度くらいは見かけることがありました。ヨーロッパの佇まいに凄くマッチしてカッコよく見えるのです。

ヨーロッパの市街地は道幅も狭く、このサイズのクルマが今でも人気です。日本では見かけることが少なくなった『レビュー』や『MX-6』なども同じように見かけることがあり、大事にされていることに感動していました。本当に世界のマツダファンの皆さまには感謝でいっぱいです。

最後にマツダ787B。これは納得中の納得です。ルマンへの挑戦と感動は今も心に残っており、飽くなき挑戦のマインドは、今も引き継がれています。

◆マツダ6 開発主査・脇家満氏

■私が選ぶ1台

私が選ぶ1台は『コスモスポーツ』です。物心がつき人生で初めて熱中したテレビ番組『帰ってきたウルトラマン』の中で、コスモスポーツは主人公たち「MATの隊員」が使うパトロール車両「マットビハイクル」として活躍していました。地球を守る「ウルトラマン」の物語に夢中になる中で、「マットビハイクル」の流麗なスタイルにも魅了され、幼くしてクルマ好きが開花し始めたのがこの頃です。

その後、あの「マットビハイクル」が地元広島の東洋工業が創ったコスモスポーツであることや、そのコスモスポーツに搭載するロータリーエンジンのドラマチックな開発秘話などを知ることで、コスモスポーツが「マイ・ファースト・マツダ」として私の心に最も深く刻み込まれていきました。今は「マットビハイクル」仕様と広島県警仕様の2つのコスモスポーツ・トミカを所有することでこの愛を形にしています(笑)。
マツダ コスモスポーツ

■TOP3の感想

次点のランティスは、商品というより仕事として深い思い出があります。入社5年目の頃にランティスのドア設計チームの一担当者でしたが、徹夜で設計図面を仕上げ、眠らないまま学生時代の友人の結婚式出席のために山梨まで出かけ、披露宴中に居眠りしたことを思い出しました(苦笑)。

マツダ787Bが1991年にルマン24時間レースで優勝した瞬間(当時はテレビで生中継)、会社の独身寮のあちこちから大歓声が沸き起こったことを鮮明に思い出します。優勝記念の社内パレードの際、全開加速のロータリーサウンドに痺れたことも印象深い良い思い出です。マツダ787Bは永久に不滅です 。

オートザムAZ-1が1位になっていることは意外でしたが、このクルマが広く愛されていることも興味深いですね。この機会に改めて、マツダ車に対する幼少期の印象や生活や仕事での関わりを思い出してみると、一つだけ選ぶのが難しい罪深い投票企画だと思います(笑)。

歴代マツダ車、開発主査が選ぶ1台…マツダ3担当・谷本智弘主査、マツダ6担当・脇家満主査

《吉田 瑶子》

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