奥田碩さんを偲ぶ---「豊田兄弟」の“真髄”を見抜き、変革にアクセル[新聞ウォッチ] | CAR CARE PLUS

奥田碩さんを偲ぶ---「豊田兄弟」の“真髄”を見抜き、変革にアクセル[新聞ウォッチ]

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奥田碩氏
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最大震度7を観測した熊本地震の復旧活動もままならぬ中、関東甲信では千葉県内を襲った記録的な豪雨で、一瞬のうちに道路が冠水して身動きが取れず車が水没する被害が続出するなど、いつどこでも自然災害と隣り合わせにあることを改めて思い知らされたお盆休みでもあった。

そんな最長で9日間の夏季休暇も終わり、きょうから日常モードに“再起動”する人も多いが、連休中には、元経団連会長で、トヨタ自動車の社長や会長を務めた奥田碩さんが、8月8日に老衰のため93歳で亡くなったことが12日未明の日経電子版に報じられて、自動車業界や政財界の関係者などに衝撃が走った。

折しも、12日は「新聞休刊日」だったため、各紙とも、奥田さんの訃報は翌13日朝刊に1面のほか、経済面などに関連記事や「評伝」を掲載。「トヨタ世界一の礎、プリウス量産主導」(毎日)や「豪放磊落なリーダー、変革求め」(産経)など、タイトルだけでも奥田さんの功績や人柄などが浮かぶ。

このうち、読売は「トヨタ変革『世界一』の礎」をメインに「最後の財界総理」として「カネも出すが口も出す」。朝日は「政財界またいだ変革」を見出しに「強いリーダーシップを発揮して、日本経済に沈滞ムードが漂うなか、政財界横断で変革をめざす経営者だった」と伝えた。

電子版で速報した日経は「『世界のトヨタ』へ道筋、海外生産やHV投入先導」として「評伝」や経団連の筒井義信会長らの「各界から悼む声」のほか、「改革の力示したトヨタ奥田氏」と、社説のテーマにも取り上げた。その社説では「社長在任中に奥田氏は『変えないことが一番悪い』と訴え続けた。経済人をはじめとするリーダーは改めて同氏の軌跡を思い起こし、反発を恐れることなく必要な改革と向き合うべきだ」と結んでいる。

そして、特筆すべきは東京の元名古屋編集局長の「評伝」。「『創業家頼み』の脱却訴え」をサブタイトルにして「豊田家といっても保有株式は2%しかない。海外勢の買収から社を守る仕組みが必要」「『豊田家は尊重するが人事は公平にやる』など率直な発言が物議を醸したこともある」と、改革の矛先は創業家にも及んだことにも言及している。

振り返れば、私自身も取材などを通じて奥田さんと出会ったのは経済誌で自動車や財界担当の記者だった頃で、もう30年以上も前。忘れられないのは1995年2月、「工販合併」後の社長に就任した創業家の豊田章一郎氏の実弟で、その後を引き継いで当時社長だった豊田達郎氏が突然病に倒れ、騒然となった直後のことだった。

桜のつぼみもほころび始めたある晩、奥田さんが東京での“定宿”にしていた九段下のホテルを訪ねて、1階ロビーのラウンジで療養中の達郎社長の病状を気遣いながらも「豊田兄弟」について、人柄や経営理念の違いなどをいろいろと聞かせてもらった。例えば、社長決裁の稟議書でも、スピード感を重視した兄の章一郎氏に対し、弟の達郎氏は「一旦、書類を机の引き出しに入れてじっくりと検討するタイプ」などと教えてくれたのを思い出す。

その半年後、章一郎氏が全幅の信頼を寄せていた奥田さんが創業家以外から28年ぶりに社長に就くが、あの時の “オフレコ話”がその後の取材に大いに役立ったことは言うまでもない。

経団連会長のほか、経済財政諮問会議の民間議員や国際協力銀行総裁などの要職から引退後は、東京・世田谷の馬事公苑近くの介護付き高級老人ホームで余生を楽しんでいたという。拙宅も近所なので、散歩の途中などに出会ったら墓場まで持っていくような秘話に花が咲くと思っていたが、その願いが叶えらず残念でならない。合掌

2026年8月17日付

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●ホンダ、安全設計にAI 開発4割短縮、中国勢に対抗 (日経・1面)

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《福田俊之》

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