せっかく萩市に観光に来たからには、夜は地酒を飲みながら郷土料理を楽しみたいのに、宿へ帰る足がない…。
日本有数の城下町・山口県萩市では、「夜間の交通手段不足」が深刻な問題となっている。コロナ禍以降、夜間の外出機会は大きく減少した。昼間の観光交通インフラはあるものの、22時から深夜26時になると市内で稼働できるタクシーは実質わずか数台となり、運転代行業者も半減。主要ホテルや宿泊施設が市街地中心部から車で15分ほど離れているため、二次会や三次会を楽しんだ観光客や地元住民が帰宅困難に陥る事態が多発している。
萩市全体が交通空白地域というわけではないが、深夜の移動手段が消えれば夜間営業店舗の経営は成り立たなくなる。この課題解決に向け立ち上がったのが、萩商工会議所と、地元で自動車整備や車両販売事業を展開する自動車アフターマーケット事業者たちだった。
完全無償・共助型のライドシェアで、制度の壁を突破
地方都市で移動手段を確保しようとする際、最大の障壁となるのが道路運送法をはじめとする法制度の壁だ。有償で旅客を送迎するには高い基準をクリアする必要があり、形式上でも24時間営業を掲げるタクシー会社が1社存在すると、制度上、「交通空白地域」と認められにくいジレンマが生じる。
そこで、2025年に萩商工会議所の会頭に選任された山縣賢一郎氏(1929年創業の山県自動車株式会社 代表取締役)が打ち出したのが『完全無償の共助型ライドシェア』だった。ドライバーは全員無償ボランティア、乗車料金も無料。有償運送の認可を必要としない共助型実証実験として国土交通省(中国運輸局)と協議を重ね、商工会議所が主体となり、ライドシェアの実証実験プロジェクトを立ち上げた。

運用の枠組みは、8月12日から16日までの5日間、22時から26時の時間帯に設定。商工会議所が手配した車両を使用し、需要集中時には、ボランティアドライバーの戸松美和氏(萩市内で1972年創業、自動車整備事業を展開する山陰ボデーの副社長)らがサブ待機するバックアップ体制を整えた。


安全対策も徹底し、ドライバー1名と商工会議所スタッフが同乗する2名体制で運行。乗車前の厳格なアルコール測定はもちろん、誤反応を防ぐため1週間前から禁酒して臨んだボランティアもいた。
相乗りは行わず1リクエスト1組限定とし、配車にはLINE公式アカウントを活用。協賛金(5,000円)を拠出した市内10店舗の飲食店端末からのみ依頼可能とすることで、いたずら防止と公平性を担保した。


特筆すべきは、ボランティアドライバーの顔ぶれだ。地元の自動車整備事業者である山陰ボデーの戸松氏をはじめ、観光協会職員、さらには市議会議員、山縣会頭自らもドライバーとしてハンドルを握るという、まさに地域一丸となった異例の体制が敷かれた。


運行実績と現場のリアル
お盆休みで人出がピークを迎える8月12日~16日の5日間、共助型ライドシェアが夜の萩市街地を駆け抜け、5日間累計で配車22台、総利用人数29人の成果を残した。



台風や認知不足の影響で序盤の利用率は低かったものの、4日目の15日には8便が出動し、帰宅困難者を無事に送り届けた。利用客からは「プロのドライバーの方ではありませんが、安心して利用できました」「思っていた以上に便利で、今後も利用したい」といった感謝の声が寄せられた。協賛飲食店からは「LINEで簡単に依頼できて使いやすかった」「期間中とても助かりました。ありがとうございました」と利便性の良さが高く評価され、今後の本格運行を期待する声があり、手応えを得る結果となった。
なお初日の12日には、地元ケーブルテレビ局・萩テレビの取材も実施され、ローカル番組「はあぶEye」で紹介予定となっている。実験終了後には、地域交通のインフラ課題に時間と情熱を注いだボランティアドライバーたちへ、萩商工会議所から感謝状が贈呈された。


自動車アフターマーケット事業者が「まちの移動」を担う意義
なぜ、地元の自動車整備・販売業者が採算度外視のボランティア活動に奮闘するのか。そこには、事業者が直面する切実な現場課題と、地域の自動車インフラを守るという強い使命感がある。
例えば、1972年に自動車整備工場を創業し、現在はスバルディーラーも展開する山陰ボデーでは、過疎地や島根県境エリアへ片道1時間半かけて夜間ロードサービスに出動しており、ガソリン代や手当のコストで「出動するほど大赤字」になる限界に達している。地域業者が減り続ける中、1社にかかる負担は危機的状況だ。損害保険会社との作業工賃交渉の難航や、旧ビッグモーター事件以降の過剰な事務負担転嫁など、業界を取り巻く環境は全国的に厳しい。
それでも、山縣会頭をはじめとする地元の自動車アフターマーケット事業者たちは「人の移動が止まれば消費も医療も回らなくなり、街そのものが消滅する」という危機感を抱いている。車を整備・修理するだけでなく、車を使って地域社会を存続させるというモビリティ産業としての誇りと責任が、彼らを突き動かしているのだ。
今回の無償ボランティアによる実証実験はあくまでファーストステップであり、将来的に目指すのは有償の公共ライドシェアを実現する「国家戦略特区」の指定だ。特区申請を勝ち取るには、行政や既存事業者へ潜在需要を示す客観的エビデンスが必要であり、今回の5日間で得た配車件数や利用者の声は重要な実績となる。
萩商工会議所と、地元の自動車アフターマーケット事業者たちの最終目標は、免許を返納した高齢者の移動支援だ。合併時は6万人だった萩市の人口は、2026年8月現在で4万人を切り、毎年約320人が免許を返納しているという。循環バスはあるが、バス停まで歩くことすら難しい高齢者が急増中だ。自家用車と地域の助け合いを活用した共助型モビリティが定着すれば、夜間の飲食街支援だけでなく、日中の高齢者の移動や福祉対応、地域経済の自律的循環の実現につながっていくことが期待できる。
「小さなスタートを切ったばかりですが、乗り越えるべきハードルは思っていた以上に高いと感じています。今後は行政や関係団体とも力を合わせて、知恵を出し合いながら、この壁を乗り越えていきたいです」と山縣会頭は語る。
地域から車と人が消えれば、整備や販売ビジネスも立ち行かなくなる。住民の移動の足を守り街の消滅を食い止めるため、事業者がどのような役割を果たせるのか。萩商工会議所、山縣会頭、山陰ボデーの戸松氏らが投じた一石は、過疎化に悩む全国の地域都市と自動車業界全体に向けて、大きな勇気と指針を示しているように感じた。今回の成果を足がかりに、萩市におけるライドシェアの有償化や特区申請という次なるステージへ展開していくことを期待したい。

